日本海から太平洋へ
2011年 07月 19日
ナビに一般道路優先、距離優先で目的地を入れてみたら、新庄、尾花沢とまわって鍋越峠越
えに。酒田から112号で山形戻るより近いのかよくわからないが、以前現場行く時に何度か通
った鍋越峠をちょっと懐かしく通りました。
17日は、これまで仲間が何度かボランティアをしてきたお宅で、いっしょにバーベキューを
楽しみましょうということになっていて、夕方着いたら既に庭に大勢のボランティア仲間が。
いつものキャンプ地では、夜10時以降は静粛にするのがルールですが、津波被害が大きか
った野蒜では自宅に住んでいる方はあまりいらっしゃらず、近所迷惑がないということで、この
夜は無礼講。おとうさんが被災した日のことや、その後の日々のことを尽きることなく話してい
るかたわらで、酔って大騒ぎの人あり。おかあさんもいろいろ話していたけれど、蚊がひどくて
一足先に退散された。まだ側溝の水が流れていないところが多いので、蚊が大量に発生して
いるのだ。ご家族は二階に寝るので、1階に泊まれるだけ泊まってよいですよということだった
が、人数が多すぎて、半分以上は庭にテント泊。広いお庭なので余裕で40人以上泊まれました。
翌朝はいつも通りに東名駅跡に8時半集合。
一週間前にキャンプ地で捕獲されて「次の週末までテント番しながらボランティアしなさい」と
言われて素直にがんばってくれていた日本縦断徒歩旅行中の青年が、約束は果たしたからと、
自分の旅に戻ることになり、みんなに見送られて歩いて行きました。でも山形に向かうと言って
いたから、どこかでまた会えるかも?
まずはラジオ体操をしてから、朝礼でこの日の作業場所と分担を確認。
猛暑で側溝の泥さらいが一番過酷なため、前日に側溝班だった人はこの日屋内作業とし、前日
屋内だった人が側溝を担当。おいらは前日山にいたので、当然側溝班へ。
運河に近いエリアの側溝にはカニがたくさんいて、土嚢袋に入れてしまわないよう要注意。
それにしても、時々ガソリン臭い真っ黒な泥の上澄みによくぞ生きているものだ。カニもボウフラ
もイトミミズも。
今回の泥は砂鉄みたいな真っ黒い砂と、真っ黒な砂利が多くて粘りが少ないため、スコップ離れ
がよくて作業はしやすかったが、なにしろ重かった。土嚢袋を運ぶのが大変なので、泥をさらう人
と運ぶ人を分け、運搬係はネコ車か小さな代車で土嚢袋を運んだ。
重たいドブ板をあけたり、戻したりのために「どぶた郎君」という道具を以前購入したのだが、力持ち
男性たちは「直接やったほうが早い」と言って、ばんばん手作業でドブ板を動かしてしまう。
お見事!
ボランティアしてたって遊び心は大事。作業的にはドブ板をきれいに立てる必要はないのだが、
みんな一時手を休めて注目。最後まできれいに倒れて拍手喝采。
しかし、こんなことを二回ほどやったF君はその後疲れすぎて目が死んでいた。この重いドブ板
を一人で何十枚も動かしたのだから当然のことで、真っ白に燃え尽きたジョーみたいに、コンクリ
に腰掛けてがっくりとうなだれ、しばらく声をかけても微動だにもせず・・・
いやはやお疲れ様でした。